引き寄せの法則

引き寄せの法則 なるものが私は大嫌いだ。

 

なんだよ引き寄せの法則って。

言わんとすることは分かる。

でもどうも納得できない。

本当に一歩も外に出られない状況で、例えばショートケーキが食べたいと毎日紙に書き続けたとして、いつか食べられる日が来るだろうか。

はっきりと分かるのは、ショートケーキを食べようと買いに行ったり作ったり、買ってきてくれとお願いしたり、努力した者だけがショートケーキにありつけることができる。

すべて己の努力の賜物であるはずの結果に、願ったから叶ったなんて。

なんて愚かな解釈だろう。

 

おまけにこれに傾倒している人間へは、普通の人間の言葉は届かない。

そんな胡散臭い謎の法則で、自分の努力を運だと思っている愚か者たちは即刻私の視界から退場していただきたいが、どうも身内にその気がある人が多くて頭を悩ませる。

願いを紙に書いて乙に浸る輩が身内に…。

全くままならない。

 

 

 

 

 

浮上

ツイッターのアプリをiPadから消した。

そしたらすごく気持ちが楽になった。

写真をアップするには不便だけど、それに勝る快適さだ。

 

 

私自身落ち込むことにも飽きてきたようで、頭が「ちょいと冷静に考えてみるとさ…」という感じでクヨクヨしていた事柄に対して落ち着いて考えられるようになってきた。

人間関係に関しては相手があることだから、私一人ではどうしようもないにしても

私は私で、自分らしく、好きなように振る舞えば良いという気持ちになってきている。

もう装うのも隠すのも、必要以上に曝け出すのも疲れたから。

ものづくりにかんしては答えは急ぐ必要はなくて、ゆっくりやりたい時にやりたいだけでいいんではないかなと。

幸いお金に困っているわけでもないし、生活を大事に、好きな人たちへ思いついた時に気軽にプレゼントを送れるくらいの懐事情であれば、まぁ死ぬ気にならなくてもいいかな。

 

そう考えられるようになったらだいぶ肩の荷が降りた。

 

 

 

 

私が全人類で一番愛している人間、夫。

私にとって夫とは人生そのものだ。

いつまでも愛おしくていつもただ笑顔でいて欲しい。

どこが良いとか、何が良いとか全く説明できないが、たまらなく好きだ。

 

もちろん、口論や所作ですこぶる腹が立つ時もあるけれど

それでも最終的に許してしまう。

 

これほど人を愛するということを身をもって教えてくれている夫に今日もまた感謝する。

いわゆる

所謂「作家」というものをしている。

その分野のどんなことかは伏せるが、割とニッチで一度でまぁまぁな収入が得られる。

 

最近その作家活動について、本当に向いてないなと感じている。

元々器用貧乏で、やってみたらそこそこうまく出来た程度で始めた。

よく分かってないまま、こんなもんだろうと続けてきた。

でも私は別に作品作りをしていないと、自分を表現していないと死んでしまうというような人種ではない。

むしろ気がついたのは、他人の作品をいつまでも羨んでいるということだ。

自分の作り上げたものより人の物の方が上等に見えるし、自分の作品が貧相で乏しいものに感じてしまう。

それで最近は作ることが本当に億劫になってしまって、どうにかこうにか作業場に自分を括り付けている状態で、本当に苦痛だ。

 

それでももう少し、続けられそうな方法を模索していこうと、だましだまし、ずるずるとこんな感じになってしまっている。

潮時なのかな。

 

 

今自分がさまざまな別れ道の前に立っているように感じる。

どの道が最善で最悪か、分からない。

あまりにも分からなさすぎるから、とりあえず自分が振る舞いたいように、好き嫌いで選ぶのも悪くないのかも知れない。

 

 

 

 

 

人の気持ちが離れるとき

人の気持ちが離れる瞬間を経験したことがある。

自分の気持ちが他人から離れてしまう瞬間も、他人の気持ちが自分から離れてしまう瞬間も。

どちらもひどく切なくて人、付き合いというスキルにほんの少しだけ影を落としてしまう。

 

きっかけはまちまちなんだけれど、それまでのプロセスは大体同じように感じる。

突然生まれる得体の知れないモヤっと感。いちいち細かい所作が鼻につくようになる。

だんだん交流後に疲れてきて、以前は許せていた行動が許せなくなる。

そのうち感情の共有が億劫になる。

あぁ、もしかしてこれは限りなく嫌いに近い好きなのかも知れないと危機感を感じて取り繕うと、失敗しかしなくなる。

さらに気持ちが疲れるようになり、何かの瞬間さようなら、となる。

 

あまりにも悲しい。

付き合いが濃厚に慣ればなるほど、そういった行き違いが発生するのがやむを得ないとは思っていても、自分のテンプレートに当てはめた相手が思いも寄らない行動をした時結局「なんだこいつ」となってしまう。

 

自分の気持ちが他人から離れてしまう瞬間という帰路に今、自分が立たされているように思う。

限りなく嫌いに近い好き。

今回に限らず、私としてはこれが嫌いに振ることは全くもって良い結果にならないことは理解している。

 

 

近況

すっかり放置気味のここだけど、あればあったで心強い。

 

前回「今年に入って全く製作していない」と言ったが、本当のところは去年から全くやる気はなくなっていた。物は作れどやる気なし。参った状況だった。

去年に引き続き、その後もとにかく眠り続け、色々と人生を考えさせられるハプニングなどもあったが、ここ最近少しづつ風向きが変わりつつあるのを体感している。

なんだろう。うまく言えないけど、いちいち重苦しく考えるのが馬鹿馬鹿しくなってきてる感覚。

感情の起伏が徐々にフラットになってる。

 

それで良いタイミングで前向きなお話をいただけたので、4月頃まではとりあえずスケジュールを緩めに組んでうまいことバランスをとってやっていきたい。

 

 

 

やる気が起きない

自分のために生きるってなんだろう。

 

今年に入って全く製作していない。

なんだかやる気が起きない。

寝てばかりいる。

 

あぁだるい。

何かを作らなきゃいけないってとてつもなくだるい。

 

先日鬱病の克服についてのエッセイを読んだ。

なるほどなと思った。

そんでもしかして自分、鬱病の一歩手前なんかなと思った。

そんな勘違いをしてしまうほどに、全くパワーが湧いてこない。

ヤレヤレである。